「戦争責任者の問題」 を読んで

騙されたといえば、一切の責任から解放されるものではない。
騙されたといえば、無条件に正義派になれるわけではない。



「不明を謝す」という言葉は、知能の不足を罪と認めること。これまで読んできた本で知っていることは、敗戦後、米軍支配時の日本国民は、手のひらを返すように、軍を非難し、戦争責任者を探し始めたということです。



文化運動の団体に名を連ねていた著者が、その運動の実態が戦犯人探しだということが分かった時点で、書かれたエッセイです。


実は、この「戦争責任者の問題」というエッセイは、電子書籍しかないようでしたので、伊丹万作エッセイ集 大江健三郎 編 を図書館で借りたところこのエッセイを含んでいました。このほか、戦前映画監督としてのエッセイを複数まとめられた本でした。大きな市の図書館でも、書庫から引っ張り出してくるような、すたびれた本でした。


「不明を謝す」。知能の不足を罪と認める。何故罪になるかは、無知という知的現象が行動と結びつくと、意思や感情を圧縮したものとなるからと説明しています。戦争中は、国民同士がお互いをだましあうことで自分の安全を確保し生きてきたのだと思います。


私は、大東亜戦争に陥った国内の主要因は2つあると考えています。憲法で定められた統帥権の不明確さにより、政府が軍を抑えれなかったことと、国民世論が戦争を煽り止められなかった風潮です(「昭和16年夏の敗戦」より)。後者の要因についての考え方を整理できるエッセイでした。


昭和20年3月。硫黄島が落ちて本土無差別空襲が始まる頃に書かれたエッセイ、「戦争中止を望む」で著者は、無謀無計画な戦争は一旦終わらせるべきだと唱えた平和主義、戦争反対者でした。そんな世論の風潮に流されない方でさえ、国が敗れることは家族、親友、隣人を全て死に絶えることだと思っていた。当時は戦争に勝つ事しか考えていなかったと書かれています。だから自分は戦争責任がだれかという犯人をさがす気にはなれない。自分もそうだったからと。


またエッセイの中で、封建社会も、基本的人権も、自力で打破できなかった国民というのが印象的でした。戦争の熱狂と偏見が和らいだ現代で私は生きているはずです。本当に社会に必要な製品、サービスを供給することに貢献し、正しい政治を実現するために、よりより民主政治を考え、自分の権利を守るための日本の憲法や法律を理解し、語り合うことができているのでしょうか。