「ダメ情報の見分けかた」 を読んで


チキさん
リテラシー論は、市民が罪のない被害者とすることが多い。歴史はひも解けば市民こそが関わっていた。これは伊丹万作さんの「騙されるものの責任」が、「騙されてなお騙すもの」に変わることを意味するかもしれません。流言を拡散する人は、自分こそがリテラシーがあると思い込んでいる。人が真実にはたどり着けないというのは、全ての専門知を手に入れることは、どんな天才にもできないからでしょうか。人は自分に都合のいい意見に従ってしまうので、自分が社会の理想をどう求めるか、事実や価値観の論議を繰り返すしかない。 リテラシーの競い合いではなく歴史から謙虚に学び、情報を個別に検証していくしかないとまとめています。

飯田さん
人は見たいものを見る。市民が無知なのではなく、その方が合理的な選択になる状況がある。リテラシーを求める効果がない。そしてリテラシーは基礎能力でしかなく、専門知の見極めに役に立たない。初めは「合理的な選択が正しいとはいえない。」と憤りながら読み始めました。社会問題や経済政策の専門知識を理解するための投資に得られるのは知的好奇心を満足するのみで、居酒屋で社会問題について語って女の子にモテる時代でもなく、政策より自分の仕事に関わる専門分野の知識習得に熱心に投資した方が便益が大きい。解決はリテラシー習得の便益を伸ばすこと。先ずはコスト下げること。コストを下げる方法としては安易に示させるわけはなく、無内容を見抜くこと。定義を引くこと、データによる検証力の3点。コストを下げたところで、リテラシーを極めた後の利益はすぐ形になるものではないかもしれませんが、リテラシーを求める便益についてはとても納得できました。

鈴木さん
リテラシー自体が中立ではない。人が中立であることはあり得ないから。対策は何が社会にとって正しいか、何が受け入れられるかという価値論争を含む事実を直視し、そのリテラシー論が誰に向けられたものかを問い直す。「人が中立でない前提だが具体例は?」わかりませんでしたが、政治的価値観、立ち位置を客観視できること。個人の自由と共同体維持の矛盾。偏った情報の中から自分の立場を見定めて、発信していく力。ただ文句を付けて見分けるだけでは済まされない。偏った情報に対してカウンターとなる情報を影響力ある形で流通させるスキル。人の価値観や好みに中立はない。どんな社会がよいか価値判断を繰り返し、避けられない不一致を受け入れられる公共文化を作り出すことが公正な社会を達成する。難して良く分からない内容でした。


最後にまとめ。
リテラシーという考え方自体が中立ではなく、社会には中立ではない多くの矛盾が存在している。必ずしも中立ではない自分の価値観や道徳を客観視し、リテラシーを広めていくことが、自分にも社会にも役立つ、ことを確認できるようになること。避けられない不一致、相手の考え、文化を認め、人と議論し交わしていくことによって、社会の理想を求める。