「一戔五厘の旗」 を読んで


良いものは良い。悪いものは悪い。その時に良いと思っていても、50年後に振り返ると、それになんの意味もなかったことがたくさんあります。我々はいまを生きているから、今良ければいいかもしれないが、50年後に生きる者にとっては大変な迷惑なことがたくさんあるかもしれません。

暮しの手帖という雑誌があります。ひとつも企業広告のない生活雑誌です。内容は、衣食住をはじめ、掃除や洗濯、片付け、考え方など、普段は気付かない生活の知恵を、教えてくれる便利な雑誌です。まだ2冊しか買ってませんが愛読雑誌に認定しました。最近の女性雑誌の読者モデルさんの綺麗な部屋作りや一日の生活の紹介ブログも、テレビの著名な文化人の言葉や歌詞も、単純な暮らしや思いやりの原点に戻って考えると、何だか当たり前のことを遠回しに遠回しに言っているだけのような気がして、熱狂するほどのことかなぁと思えたりします。


花森安治さんはその雑誌の初代編集長だった方です。もう30年くらい前に亡くなられました。花森さんがその「暮しの手帖」で載せられた多くのエッセイの中のうちの、30編がこの本で紹介されています。どのエッセイも、評論家の目線、政治家の目線、企業人の目線、ではなく、一庶民の目線で一庶民の生活を第一に書かれています。


内容は、迫力ある写真を交えながら、アイヌ勘定、北海道の戦前戦後の開拓の違いから話しは始まり、絨毯爆撃の焼野原こそが、戦場だったという戦中の話し。戦後高度成長時代の商品の洪水と、広告の多さの話し。日本人の生活スタイルの変化の話しです。


会話のピンポンの話しがでてきます。私は私の人生に登場する人たちとうまくピンポンできているだろうか。打ってきた球と違う球を打ち返してはいないだろうか。問題の球を私の社会はちゃんと打ち返そうとしているだろうか。未開社会への逆戻りしてはいないだろうか。そんなことをかんがえさせられました。


今、暮らしは蔑まれ、大地や海は平然と汚染されている。間違いない?だが、庶民には、楽しいレジャーやイベントや食べ物はたくさんあります。まるでにんじんを下げられた馬でしょうか。植民地にならないために、祖父たちは何を守り何に抵抗し何と戦ったんでしょうか。私たちはその、残された土地で、何を求めているんでしょうか。


戦後20年。昭和40年。花森さんはすでに懸念されていました。「商品の洪水は気持ちを変えた」「権力と金力に屈せず正しいことをする」こつこつと、消費者、庶民の目線にたち、周りが高度成長時代の中でも逆流し、現代に通じる生活の知恵、政治に対する意見を述べています。私はこの本からヒントをもらい、それを身近な人から学びたい。なぜなら私の周りには手本とする人がたくさんいるからです。逆に、私の意見や考え方も、しっかり人に伝える努力をしていきたい。


今は平成やから。昭和やないで。50年前の本読んだって。そうやけど、手離しに昔がいいというわけではなく、昔から学ぶことの方が、多いと思うのは、人間は過去に同じ経験をしてきているからです。2000年のあいだ哲学は、人間は生きること死ぬことの意味をずっと探り続けてききました。先人が乗り越えてきた経験から学ぶことは多いと思う。日本文化、日本人の考え方を、私は誇りに思う。外国のひとに胸を張って自慢したいことがたくさんあります。大切な生活の心を学び、もっと人生を謳歌し、もっと人と議論のピンポンをするために、これからも読んでいきたい雑誌と、またじっくり読み返したいエッセイです。