「理系バカと文系バカ」を読んで

「理系バカと文系バカ」竹内薫 著   を読んで

中古本屋で買いました。分かりやすくて読みやすい本でした。
著者はサイエンスライターという肩書の東大理学部卒の方です。


理系と文系の典型的な考え方や行動の違いについて、事例に挙げて紹介しています。そしてどちらか片方の一元的な考え方に陥っていないか、自分自身を見直し、それぞれのいいところをバランスよく融合して、文理両道の人間を増やす。それにより日本の将来が明るくなるのでは、と著者は考えています。

文系バカの例として、占いや性格診断の類を信じやすい、ミネラルウォーターやカロリーオフ、マイナスイオンなどの商品文句を見て良さそうだと思ってつい買ってしまう、何でも平均値で考えたりしてしまう、そういった傾向にあるとしています。

次に、理系バカの例としては、独善的で真実を求めすぎる余り相手の感情や気持ちを無視してしまう、感動するポイントが人とズレている、自分の中の基準が絶対正しいと思っている、などです。


日本人は分類好きでステレオタイプに当てはめて人を判断する傾向にある。理系に偏った考え方をする人々を理系バカ、文系を偏った人を文系バカ、と少し挑発的な言い方をしていますが、それは著者の意図です。読者に対して注意を喚起させる為に、意図的な言い方なのですが、著者も楽しげに事例を並べているところをみると、やはり分類好きなのでしょうか。


本の内容は中盤から、理系エリート、文系エリートの話になります。理系白書によると、事務次官級の官僚の97%が文系出身です。この本が発刊された当時の首相、麻生さんから20人総理大臣を遡ると、第40代田中角栄さんが建築を勉強されており、第44代鈴木善幸さんが水産を勉強していた以外は、全員文系出身者とのことです。政経学部、文学部、法学部、商学部です。また、テレビ局のニュースを担当しているスタッフにも理系出身者が
少ないそうです。完璧な理系の番組が作れるのは科学部のあるNHKだけらしいです。日本のTV界が科学の重要性に気付き、将来ディレクターになるべき人材を理系から採用すべきだと著者は説いています。霞が関、永田町だけでなく、TVも文系エリートが支配しているのでしょうか。この文系エリート達が、著者の言う文系バカばかりで、論理的な思考、いわゆる理系の考え方を持ち合わせていなかったら、少し怖い気がするのですが。。


温室効果ガスを1990年比で2020年までに25%削減する目標を鳩山さんが約束しました。日本全体のCO2排出量の内、自動車が1割を占めると、別の本で読んだことがあります。仮にそれが正しいとすると、日本を走る自動車全てが、限りなくゼロエミッションになったとしても10%削減にしかならないということなるのですが10年後に、二酸化炭素25%削減が技術的に可能である根拠があるのか、その見込みが各企業、団体全てにあるのかどうか知りたいです。そしてその各分野ごとの見積もりの結果が経済産業省のHPにありました。
http://www.enecho.meti.go.jp/topics/080321.htm

私はこれを見て25%削減できる見込みがあるとは一文も読み取れませんでした。皆さまはこの試算をどう見るか分かりませんが、一度ご覧ください。地球環境活動と商業主義とリンクしてビジネスを展開することはよいとしても、せめて日本の採算が取れる目標でないと困りませんか。10年後に結局達成できなくて困るのは我々日本なのですから他人事ではないと思います。温暖化の人間活動が原因なのか、宇宙環境の変化が主要因なのか、温室効果ガスとして水蒸気については削減する必要はないのか。などという点についてもこの本は触れています。


最後に、宇宙の法則と、人間の法則についておもしろい事を言い方をされています。科学の世界の論理・仮説検証は宇宙そのものに備わっている法則、自然を基準にしているのに対して、法学の世界の論理・仮説検証は人間社会の法律、取り決めであると言っています。数学の上に物理学、物理学の上に、その上に化学、生物学、だいぶすっとばして人間の経済学があるのだと。そういう考え方を私はしたことがなかったので感心しました。


そして著者は恐らく理系びいきなのでしょう。まとめもどこか理系の考え方や行動を勧める風に感じます。属人思考ではなく、属事思考が必要であると書いています。属人思考とは、たとえば権威のある人が言っているから正しいだろうと考えることで、属事思考とは、事柄に対して正しいかそうでないかを判断することと書いています。


ここからは私のまとめなのですが、インターネットと持ち運びできる端末さえあれば、
検索すればいつでもどこでもいくらでも情報を入手できますが、情報が多すぎて正しい情報が選んで理解していくことが難しいと思います。せっかく入手した情報が簡素化されすぎて本質がみえなかったり、逆に詳しすぎて全体が見えなかったり。自分の仕事も忙しくて、休日は子育てで大変な国民が、言い風にも悪い風にも巧妙に操作されているかもしれない情報に対して、これは正しい、これはウソ、この部分は正しいが、この部分はおかしいと判断できるでしょうか。まして一番受け取りやすいTVや新聞の情報にウソや誇張が含まれていれば、大部分の国民がそれを信じてしまうと思います。伝えなければいけない情報が報道されないこともありますよね。考えてもなかなか本質を理解できない私にとっては、著者が言うように、興味を持ち、自分で考えることが必要と感じました。