「1Q84」を読んで


意味がよく分からなかったというのが感想。


流行りに乗れないのはいつものことで、店頭に並んだ当時は脳科学の本かと思っていた。すごく大ヒットした小説なのに、題名の読み方も読む前まで(読み始めてからも)アイキューと思っていた。この長編小説を読むきっかけは、ノーベル賞を逃したニュースを見たことと、たまたま妻が持っていて家に1、2巻があったことだ。


素晴らしい小説とは一体どういうものなのかを私は分からない。抽象画の良し悪しが分からないのと同じようなことかと思っている。表現力が現実の風景の様に美しいものをいうのか。
話の構成や展開が迫力のあるものをいうのか。提起される問題点が高尚かどうかなのか。そういうことを考えながら読んでみた。


長い長い小説。この一言に尽きる。一つの描写を別の例えに置き換えて表現するので、分かりやすいのだが、「古池や〜水の音」的な、一言で簡潔に表現するニュアンスも無ければその意思も著者にはない。一場面一動作毎に、豊富な表現力で例えるのでなかなか先に進まない。話しは、何が現実で何がフィクションなのか、終始、辻褄が合わない。話の中でも、論理的に説明できないが、、、という前提でどんどん話が進む。だから構成という意味においても、論理的につながっていない。サスペンスのように、最後に「こう繋がってるんや〜なるほど〜」という感想や驚きはは出てこない。結局のところ、なが〜〜いことと、流れがよ〜わから〜ん。


提起されている問題点を考える。この小説の中で引用されているロシアの小説家チェーホフの言葉がある。「小説家とは問題を解決する人間ではない。問題を提起する人間だ。」著者がわざわざ自分の作品の中で他の作品の言葉を引用するということは、著者がそこから何かしら影響を受けているのか、考え方の上位を占めているのだろうと思う。では、1Q84で提起されている問題点が何かあるはずだ。小説の登場人物の行動や考え方で著者自身の意見を代弁しているはずだ。その論理はつながっているだろう。


大人の都合で周りと違う行動を強いられたり、身体的特徴に対することで、周りから疎外され、子供が心に深い傷を追うことに警鐘を鳴らしている。一つの目的を持った団体が理想を求めていくに従い宗教団体に変わっていき、空白を埋める為には手段を選ばなくなった仮定を危険視しているのか。いやそんな単純じゃないはずだ。物語の中の物語が、世間が知らないことを知らせてしまい、世界を操っている者を怒らせてしまうのと同様に、1Q84の中にそういう恐ろしいメッセージが含まれているのだろうか。世間には単なるフィクションと思われているが、当事者にとっては公表されては困るノンフィクションなのか。物語の冒頭で、「見かけに騙されないように。現実はいつも1つきり。」というキーワードがあるが、物語が行き着いた先は、2つの現実。戻ったはずの世界はまた違う現実。


何かの問題が提起されていると信じているが、「物語に出てくるピストルは発射されずに終わることはない」ことが覆されたのと同じように、実は何の問題も提起されていない小説なのかもしれない。この物語について一人で納得いく理解はできそうにないので、読んだことのある人の感想を参考にしようと思う。