パール判事の日本無罪論 を読んで


念願の本を手に入れやっと全部読むことができた。浅学菲才を顧みずまた歴史を語る。


私が生まれる32年前に、世界を相手に戦った戦争が終わった。その戦争を裁いた裁判が東京裁判。侵略国家日本の犯罪性が裁かれた。国民を戦争に導いた戦争指導者達はA級戦犯として絞首刑に処せられた。以下B級、C級としてアジア各地に設けられた裁判所で捕虜となっていた日本人は死刑となった。そして今も日本人は侵略者の子孫としてその償いをアジア諸国に対して行わなっている。自らを守る為の武力を持つことさえも侵略に繋がるとされ、国に誇りを持つ、という世界中の国の人々が当たり前に持つ感覚さえ、持つことが許されない国となった。


パール博士は、東京裁判戦勝国インドの代表判事として、唯一一人、日本の無罪を主張した。博士はこの裁判自体を、勝った国が負けた国へ復讐を果たす為だけのただのリンチと言い切った。


今更言うまでもないが時代は弱肉強食の世界。生き残る為には強くなるしかない。負ければ問答無用に支配されるのみ。東洋人であればさらに酷い差別を受ける。支配するものが共産主義であればこれも辛い人生が待っていたことはベルリンの壁が物語っている。今だからコーヒー飲みながら歴史を語れるが、平和の中に身を置いて想像できるほどそんな生易しいもんでもないだろう。当時を生きていた世界中の国が必至で国家存続の道を模索していた時代だった。



何年もの苦しい節制と軍部の圧力からの解放のおかげで、裁かれた結果を私たちは誰も疑問に思うことなく受け入れた。正義もなく法もなく真実もない判決により、戦争指導者と言われる人たちが殺された。死んではならない者の多くが死んだ。弱い者の多くは疲れ切って沈黙し、次の時代に流されていった。それまで戦争を正義として煽りたててきた重要な立場の者は方向転換し、アメリカの自由を正義として崇拝した。当然その者たちはこの裁判を正義の裁判として宣伝し、戦争指導者を独裁者として罵った。つまり時代の強者に尻尾をふり、そのスタイルは今も変わらない。私たち一般国民は常に死と隣合わせだった。アメリカから与えられた大量消費の便利で近代的な自由な暮らしは、言葉にできない苦しい我慢を続けた私たちにとっては、事実最高の幸福に見えた。


当時の私たちがこの裁きの結果を受け入れてから65年。1年1年と時は流れ、例のごとく知らないふりをしている内にあったことさえ忘れてしまい、気付けば100年立ってしまいそうだ。この裁判が、正義もなく法もなく真実もない判決だったかどうかは、残念ながら教科書では教えてくれない。だからもしかして、やっぱり正義の裁判だったんじゃないか、と不安に思うかもしれない。やっぱり学校の先生が正しいんではないかと。そんなときはこの本で自分で確かめるしかない。だが普通に考えてパール博士の生き様に出会う機会は今の日本にはほとんどない。


個人が好きなことをする為だけの自由はいくらでも与えられ認められる国になった。物質的にはとても幸福だ。国家として世界に対し、自由と差別撤廃を求めたはずの日本の誇りは侵略という歴史の中に埋もれて、やがて考えない内にやはり、忘れてしまいそうだ。時が熱狂と偏見を和らげる前に。


私の意見が中立的か(危険か、無意味か、偏見か、異常か)どうかは置いておくとして、パール博士の判決は中立的であるかどうかは読んで判断するしかない。事実かどうか私は信じるしかない。私が博士の言葉を信じる根拠は、博士が事実と証拠と法の精神に基づいて、論理的に自己の利益に左右されることなく話したからだ。それは当時の誰よりも、裁くGHQよりも、裁かれる日本人よりも。


私がこの本を読んで、原爆投下やソ連の暴虐に復讐と攻撃心を燃やすものでは決してない。怒りは確かにあるが、実行すれば真珠湾の失敗と同じことになる。それは胸の内に収める。冷静になって、客観的に、歴史を学び、非は非で認めることができる国であることは当然、その上で私たちの祖父たちが世界に果たしてきた貢献を改めて知る必要があろう。改めて日本の誇りを持とう。そうすればそういう国に対して毅然と向き合う事ができる。これから私たちがどんどんアジアに進出して、よりよいアジアの発展に力を尽くそうとするのであれば、歴史力は必要だと思う。


パール博士の存在を知る機会を与えてもらい感謝している。