「さかのぼり日本史」 をみて

先週に引き続き録画した第4回「満州事変 暴走の原点」を見た感想。


第4回のテーマ「なぜ軍部の暴走をとめられなかったのか」のNHKの答え。
http://www.nhk.or.jp/sakanobori/schedule/index.html
1931年の満州事変は、中国東北部での勢力拡大を狙う関東軍が起こした謀略事件だった。当時の内閣には、若槻礼次郎犬養毅など軍部の拡大に反対の立場を唱える政治家が、日本と中国との間での外交交渉で、解決できると考えていた。しかし、頻発するクーデター未遂事件やテロ事件の影響があり、内閣は軍部をコントロールできなくなっていった。
翌年には、日本の傀儡国家・満州国が建国される。中国国民政府主席の蒋介石は、内乱が続く国内での立場を守るため、問題解決を国際連盟に持ち込む。日本と中国の対立が深まり、日本は国際連盟を脱退する道を選ぶ。
満州事変以降、拡大を続ける軍部に苦悩する昭和天皇の姿が、侍従武官長の日記に残されている。新たな軍事作戦、熱河侵攻に一度は裁可を与えたが、直後に、「これを取り消したし」「中止せしめざるや」と後悔。しかし、天皇の権威失墜や陸軍の反抗を恐れた元老らは、作戦中止という天皇の翻意に消極的だった。ここから戦争は拡大長期化の道を歩んでいく。


私はいい加減だった。第4回のテーマを「なぜ軍部は暴走して満州事変を起こしたのか?」と思っていた。そう思って貧弱な知識からひねり出したのは「ロシアのせい」だったが、NHKのテーマは上述の通りだった。このテーマに対しては答えは当然日本国内の問題となる。


第4回「なぜ軍部の暴走をとめられなかったのか」をもう一回見てそのまま箇条書きにしてみた。


満蒙は日本の生命線。勝ち取った石炭鉄鉱石権益。
日清間で結ばれた条約をめぐる対立激化。
国民政府蒋介石に張学良が合流。
満蒙権益を侵害される。柳条湖事件に対して満州事変を起こす。
関東軍は傀儡国家満州国建国。
中国に対して、日本の生存権を守る為武力行使が必要と国民全体が考えていた。
軍は対ソ戦、将来の対米戦の為と考えていた。
軍の意図と国民への説明がずれていた。
不拡大方針に対して独断で満州への進軍。
五一五事件、二二六事件。軍部に対して政府の力の弱体化。
国民は、軍部を支援、天皇の周りの影を排除したい気持ち。
リットン調査報告書への軍部反発。
天皇陛下の意志は抑えられ熱河省へ進軍。
国際連盟脱退。国民は松岡洋右を大歓迎。
生き残りの方の満州開拓団の悲劇の証言。


これを一言でまとめると、軍部の暴走は、政府の弱体化と国民の熱狂的支持による、となるかと思う。最初に引用したNHKの答えと合っているだろうか。軍が進軍し続けたことを悪としているが、逆に政府の不拡大方針は正しかったのか。もし犬養毅の不拡大案が支持され、軍部も了承し、満州国を中国に戻し、国際連盟に残っていれば日本はどうなったか。ソ連は必ず侵攻してきたのではないか?私の浅知恵と時代感覚では想像に限界がある。ただ、現代でさえ、原発で困った時に偵察機を送り込んできたり、原子爆弾で衰弱し切った日本にハイエナのごとくなだれ込んできたり、ほんとに信用できるのかと言えば、どう考えてもノーとしか言いようがない。今でこれやから弱肉強食の当時など想像もできない。日本が退いた時点で中国北部や朝鮮がソ連に侵攻されることは目に見えていたのではないだろうか。中国は統一して大国として復活できただろうか。アメリカとの戦争は回避できたか?色々考えるとまた頭に血が上ってくる。そういった怒りをまた鎮める。もちろん間違った怒りとは思ってない。


最後の場面で “拓魂”という石碑の前で、歌を歌われているのか、おじいさんが手を合わせて揺れている場面があった。多くが満州で殺された。私のおばあちゃんは敗戦直後、満州から頭を坊主に刈って逃げてきた。ロスケが貨車の上から順番に頭を撫でて女の子だったら連れて行かれたそうだ。貧しい人が当時満州へ渡っていったのだろうか。“拓魂”という語からは、当時の日本人の希望と決意が感じられる。人口増加の当時の日本情勢において満州開拓政策が間違っていたとは思えない。


今回なぜか自分の知識のなさにうんざりした。なぜなぜを繰り返す思考力もない。だがどうしてもNHKにいちゃもん付けたい。国内の問題として留め過ぎているんではないかと思う。国家間の利権衝突しそれを戦争によって解決するのが当然の時代だ。軍部が暴走したとしても理由がある。遥かな物量差がある大国にわざわざ戦争を仕掛ける様な無謀な国はない。政府と対立したことを暴走というならば国民全体が暴走していたのである。それが暴走であったとしてのその原因を日本史だけ振り返るのは、いわゆる自虐史観ではなかろうか。


と、聞いたことのある言葉を簡単に使ってしまったが意味を確認する。【ウィキペディアより】自虐史観(じぎゃくしかん)とは、太平洋戦争後の日本の歴史学界において主流であった歴史観に、自国の歴史の負の部分をことさら強調し、正の部分を過小評価し、日本を乏しめる歴史観であるとの評価を持たせて、これを否定的に表現する場合に用いられる呼称である。自由主義史観研究会を主宰した教育学者である藤岡信勝によって唱えられた。


英語は話せなくても自国の歴史は知った上でいずれは死にたい。自分が生まれるものの40年ほど前の話しだ。祖父祖母達が守った日本の歴史を知らずしてやはり宙ぶらりんのままお墓に入りたくない。