「国民の歴史」14,15,19,20章 を読んで


私が歴史に関する本を読む理由のひとつは、英語の勉強が仕事に役立つのと同じように、文化や考え方の違う人と接する機会に備えて自文化の紹介する為の準備のため。もう一つは、大げさながら、今生きている時代の自分を取り巻く社会を考えるにあたっての判断の物差しとする為。そういう理由をつけながら、結局は自転車や野球を楽しむのと同じで週末の気楽な趣味で読んでいる。


実はこの本、700ページを超える本で、私がこれまで自分で買った本の中で一番分厚い。買ったきっかけは、2年前に歴史検定を受けた時に、勉強の為に買った。その時に読んだのは近代の章と一番最初の章だけで、そのまま積読されていた。


全部で34章に分かれていて、1章が20〜30ページくらい。「歴史はこんなに面白くてわかりやすいのか」という帯の紹介文の通り、今までに考えたことのない、時間や文化を壮大なスケールで書かれている。しかも中学世界史しか勉強したことのない私でも、わかりやすい。


とはいうもののまだ全部読んでいなくて、今回じっくり読んだ章は、
14「世界史」はモンゴル帝国から始まった
15西洋の野望・地球分割計画
19優越していた東アジアとアヘン戦争
20トルデシリャス条約、万国公法、国際連盟ニュルンベルク裁判
です。


尖閣諸島について中国が国際法上有効な論拠がないということについて、では国際法というものがどういう風に成立したんだろうかということと、もうひとつは、中国という国がどういう歴史と文化を辿って今に至っているのか、というのを知りたいと思ったから、この章に特化して読んだ。


この本で書かれている国際法は、主に戦争についてのものだが、国際法というものが成立した元々の経緯は、ヨーロッパ諸国が自国の利益主体で考えたものだということ。それが今どうなっているのか、どれくらい強制力のあるものになっているのだろうか。


東アジアの優越について書かれた章は面白かった。中国を中心として東アジアは、1800年まではヨーロッパよりも文化も政治も成熟していたという点。中国がアヘン戦争に負けて、イギリスとロシアがユーラシア大陸を南北に分断して統治するという話しのスケールの大きさには圧巻。中国がその時、外の脅威に目を向けて、アジアを守る為に立ち上がってほしかったと思う。


排外的で自己中心的な中華思想をもつ政権が、世界から認めらている理由が分からない。逆に考えると、正義というか、公平というか、そんな絶対的な国際法は存在しない、ということにはならないだろうか。今日本が頼ろうとする国際法とはどんなんやろう。理想的な法が出来上がっていればいいが、そう都合よくいくんだろうか。


西洋の地球分割計画が神の下に認められ、残酷冷酷に実施されたように、中国の太平洋分割計画も自己中心的に着々と進んでいるんやろうか。



ともかく、この本を読むと、人類の歴史というものは、年号と出来事の時系列ではないということがわかる。断続的に流れていく時間の中で、何百億という蟻のような黒い丸い頭が群がったり分裂したり、沈んだり浮いたりを繰り返して、流れ続けて今に至るんだなぁと、という風に感じられる。地球という星は、よくこれだけの喜怒哀楽や憎しみや欲望を抱えながら回っていられるなぁと感心もする。歴史というものは途方もないスケールなんじゃないかな、という気がして、また興味が湧いてくる。