「役割仮面を脱ごう」の記事をよんで

中日新聞 「役割仮面を脱ごう」記事
浜 矩子   同志社大大学院ビジネススクール研究科長


国民と企業人。二つのお面を持っている。
国民としては、尖閣諸島を毅然とした態度で政府は臨むべき。
企業人としては、中国との取引があるので穏便に解決してほしい。
そういう矛盾に対して国富論を引用して考察している。


アダムスミスの時代では、政府が国民や企業に介入しなくても、企業が利益の最大化を求めると、自ずと国が発展し、国民が豊かになり、国益に沿う形になる。だから国家は市場に任せて介入しなくてよい。ということを説いている。だが、グローバル時代の今日は、国民の利益と企業の利益が一致しない。地域経済が疲弊し、雇用が空洞化しながら、企業は生き残る為に、安いコストを求めて海外へ進出する。こういう厄介な時代に、国家はどう行動したらよいのか。


指針となるべきものは、仮面を取ればみんな人間だということ。日本の企業人も国民も、外国の企業人も国民も、みんな役割仮面を脱いで、みんなで「国富論」ではなく、「皆富論」の世界を目指そう。という結論でしめくくられている記事だった。


結論が世界みんな同じ人間、というのは期待外れだったが、ビジネススクールでは皆富論の具体的な策が論じられているのだろう。


人類みんなが富むことを考えるのであれば、人として、殺人を犯したり、土地をだまし取ったり、誘拐したりする人や国家を許してはいけない。科学技術や便利さは格段し進歩したが、犯罪国家や犯罪人がまだまだたくさん地球に存在することが富めない理由だと思う。それは人間の欲の塊だから仕方がないのと、みんなお釈迦様のように生きることはできない。それを解消することは、将来いずれ人類存続の課題になると思う。


現代の問題は、犯罪国家や犯罪人の事実を知らないふりをする、影響力や権力を持った無関心国家だと思う。影響力を持った国家がもつ役割仮面は、本来人間全員が富むべき役割仮面と同じはずだが、今かぶっているのは、なんなんだろうか。役割の前に、人として顔を持っているのか、よく考えたい。