「おとぎ話しに隠された日本のはじまり」 を読んで

日本人としての常識であるかもしれない、神武東征や出雲神話については、私はよく知らない。ぎりぎり、イザナギイザナミの神様がグルグル矛でかき回して落ちた最初の一滴がおのころ島になった、くらいしか知らない。そうそう我がブログの題名だ。それはさておき、この本を読む前にまず、日本書紀古事記を読んで通説を理解しなければいけないんだろう。関裕二さんの本は、おもしろいんだけど(正確に言うとおもしろいっぽい雰囲気なんだけど)なかなか分からない。バッグボーンが分かっている人が読めばもっともっとおもしろいんだろうと思う。以前、「聖徳太子蘇我入鹿である」という本を読んだが、いかんせん登場する神様の名前が難しくてなかなか理解できなかった。なのでほとんど覚えていない。オオクニヌシ?オッコトヌシ?ニギヤハギ?オギヤハギ?ジブリかお笑いかよく分からんことになっている。


この本は関裕二さんが研究されているおとぎ話しの内容を短くまとめてダイジェスト版風になっている。私たちが子供の頃聞かされたり読んだりした、竹取物語一寸法師かぐや姫。そういうおとぎ話しには、時の政変で敗れ、一族郎党没落し、勝者藤原氏によって歴史上からも抹消された敗者蘇我氏の最後の声、後世へのメッセージを含んでいるんではないだろうか、という研究本である。


関裕二さんの本を読む時に出てくる重要な言葉の一つ、「とよ」。伊勢外宮の祭神、豊受大神の「とよ」。邪馬台国卑弥呼の宋女、台与の「とよ」。そして日本書紀に描かれる神功皇后と「とよ」とのつながり。7世紀に蘇我本宗家を滅ぼし権力を握った藤原氏の朝廷。その朝廷の正史「日本書紀」。そこには蘇我氏=悪者として記されている。悪者になった蘇我氏には「とよ」に関する名前が多い。また、正史は大事な部分を抽象的に書いてあったりする。自家、藤原鎌足の出自についてや、豊受大神については無視されている。正史は、藤原が蘇我から奪った政権を正当化する為に、都合の悪い事実には触れないか、もしくは曖昧な表現にしてした。のではないかということを、各地の言い伝え、神社伝承、おとぎ話、そして考古学の見地から研究している内容だ。


神話の裏側に微塵でも真実が隠されているならば、それをすくい取る努力を怠ってはならない。と関氏はいう。これから私も、近所の神社、各地の神社をめぐることがあるだろうけど、自分の金儲けのお願いをする前に、その土地に伝わる伝承を聞いたりしようと思う。



陳舜臣「歴史は勝者によって書かれる」。そういえば最近、ここ数十年前も同じようなことがあったなー。これからもあるんだろうなー。