「自分の中に毒をもて」を読んで


友人の紹介で読みました。



この本は88年発刊されたものだというから驚きだ。20年以上前なのに今読んでも納得させられる内容だからだ。岡本太郎で私が思い出すのは、「芸術は爆発だ」という言葉と、大阪万博のあの奇怪な太陽の塔くらいしか知らない。よっぽど高尚な、凡人では理解できないような人なのだろうと思っていた。本を読んだら違った。



戦前、岡本青年は芸術を勉強する為にフランスに渡るが、哲学、経済学、民俗学を勉強する。フランスで恋した女性は数多く、キスの受け方仕方で相手の育ちが分かるという。何とも羨ましい限りだ。男は女性に合えば全てが恋の対象になりうる。その数多くの経験は、プレイボーイという理由でもなく、フランスと日本の文化の違いもあり、結局は女性と本音で向き合ったかどうか。(おおお)



芸術家というより哲学者のようだ。才能があるからだと言われるがそうではないという。とことん明朗に。中途半端だと不明朗になる。意志が強いなんてのはない。続けるか続けないかただそれだけだという。



人間はそもそも非合理で無目的。人間は何のために生きるのか。何千年もその問いに対峙し、現代(20年前)もなお我々はその矛盾を抱えながら、ルール化された合理化された社会に無理やり自分をはめ込んで生きている。そしてハメを外さない様に、他と違うことをしない様に。出てしまった杭は打たれるから。仲間外れになるから。(おおおお)



相対的ではなく絶対的な価値で挑め。芸術も人生も恋愛も(夫婦生活も)。科学主義、合理主義は割り切れたものしか問題にしない。政治家も経済人も利潤だけを道徳基準として、その両社の馴れ合いが堕落させ不毛にさせる。型にはまったり、時代の基準に合わせたり、他に合わせたり、そういう相対的な枠に捉われずに、興奮と歓喜に満ちた人生を送れ!(おおおおおーーーーー!)しかしながら、岡本さんも言うように、家族が居て、子供が居れば、自分の絶対的価値観で生き抜くことは、尚更難しい。



人が一人、人生を描いた本に、たかが35年しか生きていない私が納得させられないわけがない。そしてα読み甚だしい。独身諸氏は孤独を貫くべし。