これからの「正義」の話をしよう を読んで(5)

第5章 重要なのは動機 を読んで


ここまででやっと全体の半分を読み終わりました。この本を読んでいると山登りの様です。やっとこさ半分登ったという達成感と、なんでこんな険しい山をわざわざ登っているんやろうという虚無感。しかも無知な私にとってこのコースはロッククライミング級の難解度。この本のフライトは果たして目的地までたどり着けるのか!?


功利主義とは、全体の幸福を最大化すること、でした。多数の満足感を最大化することですね。19世紀の学者イマヌエル・カントはこれを否定します。必要だからとか、それをしたいからとか、そういうことから道徳的に良い悪いを決めることはできないんじゃない、と考えたんですね。


そりゃそうだ。ちょっと考えたらおかしい。流行りなんて2,3年もたてばすぐ変わるもんだ。女性の好みやブランドは。お笑い。ロードバイクに目がくらむ。。。モノの考え方で言うと、自衛隊海外派遣の話でも、それを話題にするだけでタブーに触れている空気が流れていたのが、最近はTV番組で堂々と専守防衛の議論までされている。人の考え方も欲望も、その時々その場所場所でコロコロ変わるらしいし、長いものにはすぐ巻かれるらしい。そんな移ろいやすい欲望や主義に、普遍的な道徳の基準は持たせられんのは当然だと思います。


では彼は、道徳的に正しいことをどう表現するのか。重要なのは結果ではなく動機だと言いました。その動機というのは、私利・必要性・欲望・好き嫌い・生理的欲求などを動機にして行動するのではなく、「正しいこと」の為にのみに行動することが道徳的に価値があるとします。


ほな、その正しいこととはどんなことなのだろうか。それは、万人に当てはめて矛盾しないことです。誰もが正しいと認める正しい法則のことです。但し、その正しい法則は、自然法則や他人からの評価などの外的要因があってはいけない。


誰もが認める法則は、理性(純粋実践理性)が決める。理性が意志を支配している時は自分が決めた法則に従って行動できていること。本能で決めるのではなく、理性が意志をきめているのなら自由である。


まとめると、正しいとされることを、外乱に影響されずに自分が純粋に理性で決めて行動したことは自由であり道徳的に価値がある。となります。


ではたとえましょう。


ウルトラマンは糞したくても寝不足でも子作り中でも、地球を怪獣から守らんが為のみに光の国から一目散に飛んでくる。地球を守ることはガミラス星人がいなければ全宇宙的に誰もが認める正しいことだから。ただし、地球を救う報酬としてウルトラマンの父からM88星雲をプレゼントされるから頑張って地球に向かうという動機であれば残念ながらウルトラマンは価値がない。ウルトラマンが生まれつきに地球を守るという本能ではなく、理性によって地球を救うことを決断し行動を起こしているのなら価値がある。


誰もが正しいと思うことを目的に行動することが正しい。そこに私利私欲の目的があってはならない。


空中分解寸前で着陸できそうにないのですがいかがでしょうか。