これからの「正義」の話をしよう を読んで(2)

さて今日の読書感想文は、「第2章 最大幸福原理―功利主義」です。進まない。でももっと早く更新してほしいという感想も頂いたので頑張ってみようと思う。

救命ボートで、船員3人と身寄りない青年が何日も漂流した。もう全員明日には死ぬかもしれない状況となった。でも一番弱っている青年を今殺したら3人が生き延びる可能性があるっとなったらそれは殺しても良いのか悪いのか。地下鉄に核が仕掛けられた。連邦捜査官はテロ容疑者を半死半生になるまで拷問して場所を吐かせようとするが正しいか。

●サンデル教授はこういったジレンマに対して問う。結果だけに依存して一番良くなることをが正しいことなのか(タイムマシーンがないのでわからない)、それとも結果には関係なく、少数派の義務や権利も尊重されるべきなのか。

ベンサムという政治哲学者が功利主義という考え方を用いて社会が正しい方向に向かう為にはどうすりゃいいか、200年くらい前から説き始めた。功利主義の考え方は現在でもいろんな場面で用いられている。社会が良い方向に向かう為の正しいことは、社会全体が幸福になることだよって。幸福になるってことは、快楽が多くて苦痛が少ないってこっちゃ。

●サンデル教授は功利主義に対して2つ反論する。全体の幸福をデカくすることは個人の権利が軽んじられるけどいいのか?もう一つは幸福ってどうやって定量化するのか?いろんな快楽や苦痛な出来事を、単一の価値をやお金に換算できんのかい?

●ミルという政治哲学者が功利主義を洗練した。幸福になるっていうのは、みんながしたいことを自由にできて自分の能力を伸ばせる社会が一番いいに決まっとる。ただ他人に迷惑を掛けないてはいけない。その限りなら個人は何をやっても許される。たくさんの人がしたいと思うことが快楽の増進につながって幸福になるということだ。政治や宗教や経済やら考え方で対立することもあるけど、それは社会全体として考えた時、快楽が多い?苦痛が多い?か計算して、快楽が多いことを正しいこととしてやっていこう。慣習に道徳に縛られずに自由に意見を出し合いながら考えていくことが一番人間が進歩する。それが一番社会がいい方向に向かう正しいことだって考えた。慣習に道徳に縛られる人もどんな人間であるかが重要となる(※)。

●サンデル教授は言う。ミルが「行動と結果だけでなくてどんな人間であるかが重要となる」といった時点で、ベンサム功利主義を否定してしまった。また、したいことって言うても、政治討論番組とお笑い番組とどっちがみたいかって、やっぱりお笑い見たいっしょ?でもどっちがを見るのが有益かって考えたら、討論番組って多分なるやんね。ほんならしたいことが幸福というわけではなくなる。何が有益かって考えるってことは、欲求ではなく人間とはどうあるべきかという尊厳や道徳の領域なので、こちらも功利主義の前提から外れているやん。

うーん。サンデル教授はアメリカ中心の考え方の様な気がするのは私が右よりだからだろうか。少なくとも優秀な教授の本だから信じるというのはしたくない。こんだけ高い本なので全部読んでつまらんかったら燃やしてやる。理解できなくなって途中で読むのをやめてもたらすいませんでした。なかなか理解できなくて読みも進まないのでとても時間がかかる。この章では、ベンサムとミルいう政治哲学者が出てきた。この章は、功利主義を説いた偉大な学者が二人いた。双方素晴らしい主義だったが、一人目の功利主義には、基本的人権が軽視される危険と苦痛に対しての定量化が困難な点が弱点だった。その弱点を救おうとしたのが二人目の学者だった。救おうとしたが、人格や道徳的な理想を追い求めざる得なかった為、功利主義の最終的に前提を崩してしまった。

一人が死ねば3人助かる。一人が死ねば1万人助かる。一人が死ねば地球が助かる。いったい答えはあるのか。この本を読み終えて理解できたとしたら、人としての正義とは何かが自分なりにわかるのだろうか。そして自分の行動が変わるのだろうか。