これからの「正義」の話をしよう を読んで

この本ブームらしい。3章まで読んだが内容が全然頭に入らない。難しい理由の一つは、書かれている内容が、サンデル教授の意見なのか、一般的な意見なのか、読んでるうちに分からなくなることだ。このまま漠然と読んでいっても1年くらいかかりそうなので、章ごとに自分の解釈と意見を整理して読み進めていくことにした。この本を読ん通して、素な自分の考えをまとめた上で、他者の意見や本を読むことにする。

「第1章 正しいことをする」。社会が公正かどうかは、私たちが価値があると思うことを、正しく分配されているかどうか、による。価値があるか否か基準を判断するのは、幸福の最大化、自由・権利の尊重、美徳(善良とされる生活)であり、それぞれが正義について異なる考え方を示す。この本はこの3つの観点が持つ強みと弱みを説明するが、どれが正しい考え方なのかの答えを示すものではない。人々が議論し考察してもらうことがこの本の目的である、とこの章には書いている。

私は、時代と地域によって価値観は変わるが、道徳心はどこも大きく変わらないのではないだろうかと考えた。幸福の最大化、自由の尊重よりも、まずは美徳(善良とされる生活)が優先されるべきだと考えて、まとめようとしたがやっぱりわからなかった。

例、少数民族が葬られても中国が繁栄した方が世界的には幸福になる度合は高い。安く製品が作れる、それを買える。だからこんなに幸せだ。誰でも自由に商売する権利がある。現代の繁栄の為、世界の繁栄の為には、中国市場が必要だ。でも、それは今だけしか見ていないからではないか。臭いものにふたをして良いところだけの評価で進んでいいのだろうか。アメリカ人は個人の自由を主張する。今持たない価値でモノを買う。アメリカ人の知り合いはいないから実際どうか知らないので申し訳ないが、間接的に見てそう思う。アメリカ人は自由に選択できたり、権利を主張することに、重きを置く。だが、自分たちの価値観の押し付けは度が過ぎると迷惑だし反感を買うこともある。だが私たちがそういう大国に対して取る態度などたかが知れている。なぜか。この時代、幸福の最大化、自由の尊重が優先されるからだ。大勢の幸せ(大勢には自分が含まれること)は少数の幸せより優先されるからだ。

今の大多数の価値観が変わらない限り救われない民族がいる。でも今の世の中は悲しいかな、少数の価値観は保護されない、強者の利益が優先される残念な世の中だと思う。確かに豊かな国が増えているが、それは物質的な豊かさを見せられているだけではないか。安くて丈夫な服を買えたr、安全で美味しいごはんを食べれたり、真冬でも暖かい部屋で寝れたり、好きな職業についたり、自分の土地の権利があったり、それが当たり前になくて、それを手に入れることが最優先の価値とする国がある。幸福の最大化、自由の尊重というのは、そういった国を利用しているだけではないだろうか。だから、美徳が優先されるか。。。?

また、個人の正義と、国の正義は違うと思う。教授がほんの中でいくつかの例題を挙げて政治哲学に関する考察を繰り返している。

米兵が正義でタリバンが悪という前提だが、作戦中の自分のたちの任務を阻害する可能性のある羊飼いを殺すかべきかどうかという例題がある。羊飼いに会った時点では明らかに非戦闘員で、敵兵でないから殺すことは正義ではない。違う例題で自分は暴走列車の運転手で、まっすぐ行けば4人轢く。横に逸れれば1人ですむ。また、同じ暴走列車を橋の上から見ている自分は、隣のデブを突き落として止めることができる。どちらも一人の犠牲で大勢を救える。

個人で言うと、いくら海兵隊が無駄死にしたからとて、無意味な殺傷を避けたという点で正義だ。だが公としては、結局反撃に合って自分の部下が大勢死んだから正義ではなかったと言える(タリバンが悪者として米兵よりも命の価値が低いとする場合)。
運転手としての当事者なら犠牲の少ない側へハンドルを切るが、それが正しいかと言われるとそうではない気がする。その選択にすでに正義は存在しないのではないだろうか。まして隣のデブを突き落して4人助かる。確かに突き落すのは正しくない気がするが、恐ろしいことに、その電車にプラスチック爆弾が積まれてて、500人死ぬと分かっていたら、突き落すか。その電車に核が積まれていて2000万人死ぬとわかっていたら。突き落すか。何人助かるかということに正しいか正しくないかがあるの分からない。

会社や学校や社会の規則を守ったうえで自由がある。道徳の決まりを守っていくことが生きていく必要がある。道徳は当たり前すぎてわざわざ法律にしたりするもんでもないこともある。法にするか、教育に取り入れるか、家庭で教えるべきことか考えればいい。歴史の中でその地域ごとに養われた生き方や教訓などが美徳とすることが正しいならば、道徳を何百年も伝えられて後世に残すことができている地域は洗練されていると思う。個人が現実として出会う機会は、おそらく美徳(善良とされる生活)が優先されるべきだと思うが、個の領域を超えた場合は、、、、。やっぱり正しいか正しくないか分からない。


あとまとめれていないついでに、それぞれの道徳はそれぞれの歴史から生まれている、と思っている。歴史はこれまで生きてきた人たちが考えて選択してきた結果だから。

最後まで読めるかが心配。。。