梨 (淡路島TT3回目)


3つめの峠を下ると福良の町にでる。福良は港町。ビルほど高さのある船舶修理ドックが何機も並んでいる。どれも赤錆ているように見えるが、えんじ色のペンキかもしれない。長年、潮風を受けてきた趣がある。ちょっと寂しい風情もある。そのドック群を過ぎると商店街がある。街の人全員が商売人ではないかと思えるくらい大きな商店街だ。


福良の果物屋の前を通りかかると、店頭にザルに盛られたみかんが並べられていた。一皿○○円と書いてある。ここ何十年か、果物屋というところで果物を買ったことがなかったので、懐かしい気がした。


「そうだ。ここで果物を買おう」
今回の寄り道先は、海軍予科練習生慰霊碑と慈母観音。ネットの地図にも載らない人目につかない慰霊碑。その慰霊碑に備える果物を買おうと急きょ思いついた。手ぶらもなんだ。


みかんもいいが、まだ秋やしなぁ。ふと見ると梨の箱が積んである。
「梨はバラバラに売ってますか」果物屋のお姉さんに聞く。
「一個ずつって確かあったよね。いくつですか。」お姉さんは奥に座っているおばあちゃんに尋ねると同時に、私にも数を尋ねてきた。
「え〜3つ。(お供え物1つ、自分が食べる分が2つ)」答える。
「あるけど〜、高いよ。」とおばあさん。
「なんぼですか」
「1個400円」
値段の前に高いことを宣言したおばあちゃんは、私のなりを見て、単に喉を渇きを潤す代もんじゃないと言いたかったのか。だが彼女の予想は外れている。私はこんな恰好しているがお供え物の果物がほしいのだ。その辺に座ってジュース代わりにワシワシ食うつもりも、家に持って帰るつもりもない。せっかくだし高くても、おいしい梨なら。
「じゃ、2つで」さすがに3つは高い。


当時の兵隊さんもこの福良の町まで来て、たまの休暇を過ごしたんだろうか。いや峠を越えないといけないからここまでは来ていないか、とそんなことを考えながら4つ目の峠を越える。大きな2つの梨は、サイクルジャージの背中の左右ポケットに、はちきれんばかりで、ダンシングの度にプルンプルン左右に揺れる。すげー巨乳だ。


大きくて立派な旅館、うめ丸が丘の上に見えてくる。1周したことがある人なら、ほぼこの旅館の前を通るので記憶に残るはずだ。旅館うめ丸の下の脇道から入る。そう友人に聞いていた。


???。???。あった!旅館うめ丸が目の前まで近づいた時、「慈母観音←」の看板を発見した。うめ丸さんの敷地ではないかと思われるような細道を進むと、とうとう見えてきた。地味で小さな慰霊碑の看板が。うめ丸に2,3日宿泊してもそのまま帰ってしまいそうなくらいだ。さらに30mほど砂利道を進むと人気はないが日差しが眩しくて日当たりのいい高台に出た。眺めがよくて、遠くに鳴門大橋を望むことができる。ここが今日の目的地でもある海軍予科練習生慰霊碑だ。


宝塚海軍航空隊予科練生を含む82名が、終戦間近に敵機空襲を受け亡くなった。その海が見渡せる。きれいに掃除がされてあり、慰霊碑のまわりには水も掛けられてあった。ヘルメットを取り、取水場で手を清め、深く一礼し、観音像の前で手を合わす。右のポケットからはちきれんばかりの梨を一個取り出す。観音様の前に備える。振り返ると石碑が並んでいるが、2体の石碑だけが観音様のすぐ左横に並ぶ。それぞれの石碑には階級、名前、年齢、側面には出身地が刻まれている。横に並ぶ石碑は海軍少佐と、海軍中尉の石碑だ。中尉は二十歳の青年だった。階級が上だ。


観音様に目の前には、整然と80体の石碑が並ぶ。海軍上等兵曹、海軍機関上等兵曹の2体は、真ん中の観音様に一番近い。それ以外の78人の石碑は、すべて海軍上等飛行兵と刻まれている。驚くことに歳は全員10代。若くは15歳、上は19歳の少年たちだ。


自分で食べる梨を左のポケットから出した。失礼なのかもしれないが、石碑の前の広場にあるベンチでむしゃむしゃ食べた。石碑に刻まれる名前を一つずつ読みながら立ち上がってかぶりつく。ナイフがないので皮もそのまま食う。もし、亡くなった若い飛行兵たちが天国にいるのなら、ここで私が食べることによって、少年兵たちと一緒に食べたことにならんやろうか。残念ながら梨は高い割にまったく甘くなかった。一日経てばお供えの梨は甘くなりますように。また福良で買って持っていきます。




話はその日の朝に戻る。

今日は快晴。油さし、ブレーキよし。空気圧よし、携帯充電よし。いつになく準備にぬかりない朝だ。珍しい。たこフェリーは、7時45分に明石港を出港する。港には余裕の10分前到着であった。


「次は9時になるねん、どうする?」
定員オーバー満員御礼。よく見ると、自転車バイクがわんさか。この盛況ぶりは大したもんだ。でも便数が減ったんやな。たこフェリーがにぎわって嬉しいような、スタートが遅れて残念なような。
「9時に乗りま〜す」


加古川、姫路方面に魅力がない。神戸方面は普段通勤ルートやし。北区まで走って、レースで知り合った方の練習峠を攻めてみようとも考えた。しかし今日は淡路にこだわる理由がある。朝食は船内でと思っていたが、出港まで時間があるので駅前の牛丼屋で大盛り味噌汁セットを頼む。今日は昼食無しでタイムロスをなくす作戦だ。味噌汁で塩分も補給。我ながら頭を使っているな。


これはたこフェリーのキャラクターの一つである。しかし明らかにたこファミリーとは違う。たこちゃうし。姫路のヤンキー鯉ではないか。姫路城のお堀の鯉がひねくれたか。


今日、通算3回目のアタック。目標は1周6時間以内。前回は8月に走った時はジャスト7時間だが寄り道と休憩が多かった。今回も寄り道を予定しているが、それを含めて6時間を切ることが目標だ。淡路にこだわる理由がその寄り道先だ。フェリーが岩屋港に到着し、船首のハッチが下りる。今回も時計回り。時間は9時半。いよいよスタートだ。


前回よりも向かい風が小さい。踏み込むペダルが軽い。紀伊水道由良町まで相当楽にいけることを期待した。淡路南端も走りやすかった。沼島が左手に近づいてくる。沼島海岸沿いの岩場が目で見えるくらいになると、
道がアスファルトからコンクリートの打ちっぱなしの道になり抵抗が増える。今日はペダリングがスムーズなのでガタガタに関係なくグルグルまわしていける。


私のルートで淡路1周する場合、4つの大きな峠がある。1つ目はもう過ぎた。由良町から登る島東南端の峠。2つ目はこれから沼島を左手に見送ったあたりから登り阿万に出る島南端の峠。福良手前の峠は3つ目だ。ここで日本1周を目指すおっさん(推定50代前半)に出会う。今日どこまで走って最終的にどこかゴールかいろいろ聞きたかったが双方走っていたので、「気を付けてくださ〜い」とだけ声を掛けて抜く。


福良を抜けて4つ目の峠はちょうど鳴門自動車道を見下ろして超える風になる。島の西端というとやや微妙だがそう言ってもいいだろう。と、まあ地図で見ると峠はその4つなのだが、実は西海岸の五色浜近辺に緩やかな3、40m級の峠が3つほど並ぶ。これを私はダメ押し3峠だ。時計回りだと本当にその3発で足にくる。最初から7つ峠と思っていると先が長いので峠は4つと考えておく。何せそのダメ押し3発の後の長いサンセットラインはまるで修行だ。夕日を浴びて、潮風と汗で粉をふいた顔面は、相当モチベーションを下げる。


いつもながら半泣きサンセットラインを弾丸の様に突っ切ると、ようやく尾根の向こうに大橋の橋梁の先が見えてくる。故郷だ。4時のフェリーに滑り込みセーフ。料金所の方にお聞きすると、やはり土日祭日はこんな感じで多いそうだ。今後は、あらかじめフェリーが満員であることを想定していた方がよさそうだ。