「アンネの日記」 を読んで


ナチスから逃れる為に隠れていた少女の話しというだけしか知りませんでした。読む前のイメージは、か弱い少女の恐怖におののく、単に可哀そうな日記、でしたが、読んでみると全く違っていました。


日記に書かれていることは、思春期の友人との楽しい思い出について、隠れ家に潜伏してからの、両親と姉や、同居人家族との心の擦れ違いについて、大人の考えと対立する自分が、「軽薄な自分」と「「深刻な自分」の2面性を持つことについて、書かれています。


彼女は将来、ジャーナリスト、作家になることが夢でした。そして日記は、その夢の実現の為の材料でした。思春期の中で移りゆく心情を素直に書き、もし大人になったら普通の主婦とは違うユーモラスな生き方したいと願いました。隠れ家の生活を、危険だけどロマンティックでおもしろい冒険の始まりだと言ってのけましたが、本心はすごく怖ったのだと思います。彼女の日記には、恐怖や孤独に屈してはいけない。それをユーモヤではねのけるんだというパワーを感じました。彼女の最後の日記は、昭和19年8月1日で終わります。


彼女は、はっきりと将来の夢を持っていました。だからこんな日記が書けたのだと思います。私が彼女の日記の中で、これが14歳の少女の考えかと感心したことと、35歳がおっさんがこれからも心にとどめて実践しようと思ったことを2つ記します。


ひとつめ。
元好きなった人であり、隠れ家の同世代の同居人、自分に自信のないペーターに対して。
「怠惰や虚偽に満ちた生活が楽だ。安易さにも金銭にも人間は誘惑されやすいと、感じながら、そのことを諭したいが、自分には経験がないので、伝えることができないもどかしさを感じてる。」
自分では実感したこともないが、自分が本で得た知識と少ない人生経験の中から、正しいと確信したことがある。でもそれを伝えられないし、安易に伝えてはいけないと彼女が自制しているのだと思いました。それは各々が確信するものだから。

ふたつめ。
親夫婦と同居人夫婦の言い争いに対して。「大人たちの議論に対しては、全ての自分の判断力で慎重に検討し、なにが真実で、なにが誇張されているか、見極めたい。」現代社会でも日々行われている人間の行動は、人間が豊かになることのはずで、人なり企業なり国家なり、それが最終目的のはずなのですが、いろいろ隠されて曲げられて、自分の判断力を養う為には、考えるだけでなく自分が動かなければならない。反省だけなら猿でもできる。


「わたしの望みは死んでからもなお生き続けること」。私の心には、一人の立派なジャーナリストとして、生き続けます。アンネの日記を読んだ人には生き続けているはずです。アンネの日記は、単に戦争が怖いというのではなく、人間の心がどれだけ不安定で、通い合わないものかという怖さを、自分の心を通して語ってくれた、日記だと思いました。


連行されてからのアンネの日記はもちろんありません。