グアムと日本人 を読んで


私はグアムに行ったことがありません。これまで行ったことのある方の感想を聞いたのみです。淡路島と同じくらいの広さらしいので自転車を持ち込んで1周してみたいと思ったことはありますが、それ以外の理由で特に行きたいと思ったことはありません。でも、この本を読んで一度グアムに行きたくなりました。




グアムは、文字のない文化が発達。だから謎が多い。元はフィリピンあたりの島から渡っていた人々だという。1521年マゼランに発見され西洋文明と接触。1668年スペインとの戦いに敗れ泥棒諸島と名付けられる。スペイン統治開始。1898年アメリカスペイン戦争により米統治開始。1441年日米戦争で日本統治開始。大宮島と名付けられた。1443年米軍再上陸により米統治。


アメリカにとってこの島は、日本本土をB29爆撃射程に入れて焼き尽くす為の島、ベトナム戦争で大量の兵士を送り出す前哨基地の島の役割を持っていた。そして今でもそれは変わらない。アメリカにとって単に軍事島なんだ。それより以前、米西戦争ではスペインがアメリカの船を攻撃して勃発したという歴史が一般的だが、どっかの本でそれはアメリカが裏で仕掛けたということ。ハワイ・グアム・フィリピンを一気に植民地にして太平洋を占領したことを考えると、真珠湾しかり、ビンラディンしかり、常套手段か。結局いずれ日本を含め(当時アメリカがどこまで小国日本を意識していたかは浅学の為わからないが)アジアの市場を独占しようと考えていた歴史に通づるか。日米戦争時代、現地チャモロ人への使役、米人司祭殺害、朝鮮人強制労働、日本軍の玉砕戦、横井さん等の終戦後の戦争。私ごときがちょっとかじったところで見えてこない過去の歴史がある。


日本人の楽園と化したグアムはタモン湾に集中しているが、戦後ここが楽園に至る経緯はこうだ。戦後まもなくグアムが植民地だった頃(現在も実質的に植民地と変わりないそう)、グアム観光当局は、戦争の傷跡が深い西海岸は観光開発の拠点にしようとはせず、長期滞在者向けの宿泊施設を準備しようとしていた。当局は日本の慰霊団と共同で戦没者慰霊塔の建設を進め、慰霊観光も考えていた。だが、米軍退役軍人の猛烈な反対(まるでキャンペーンの様な)に遭う。日本国内では、新婚旅行ブーム到来(宮崎→熱海・南紀→グアム)。プラザ合意により円高。ジャンボジェット直行便により観光客増加。ブラボー若大将、メディアによる南国のイメージの刷り込み。規制緩和による免税店の拡大。慰霊碑は当初の案とは違う、意味の良くわからない抽象的なモニュメント(抽象芸術家に怒られるか。。)になった。誰も訪れない静寂な公園の中に、何のための碑なのかわからないものが今そこには建っている。


素敵な青い海、白い砂浜に立ち、ブラボー若大将の視界に見えていたはずの黒いトーチカ。60年代のメディアが欲したモノは、固有の歴史や文化を持つミクロネシアの島ではなく、かつて大宮島と言われ日米軍が激戦した島でもなく、青い海、白い砂浜を持つ匿名の楽園だった。その砂浜から数キロのジャングルではまだ横井さんが戦争していた。という著者の文章が印象に残っている。


そこに見えているものも見えないふりをするうちに、いずれ在ることに気づかなくなり、在ったことさえ忘れ去ってしまう、と著者は警鐘を鳴らす。人目に触れるグアムでこれなら、シベリア、満州樺太占守島、中国、マレーシア、タイ、ミャンマー、フィリピン、グアム、サイパンインドネシア、マーシャル、ソロモンはどうなんやろうか。。。。記憶の片隅どころか、もう物理的に風化しているのではなかろうか。



日本にとっては楽園。日本から一番近いアメリカ。そこにあるのは、日本人が過去を埋め立てて造った楽園。アメリカからすれば単なる軍事施設の島。本土からの直行便のないアメリカから一番遠いアメリカ。当の住民からすれば、インフラも整備されていない、台風がくれば断水、停電が当たり前の生活を強いられて、それを改善する術を持たない、実質アメリカの植民地。現状を知っているのと知らないのでは、同じ砂浜も違って見える。


だから行きたい。チャリで。