戦史検定を受けて

先週の日曜日、東京で開催された戦史検定という試験を受けてきました。今日は戦史検定の紹介を兼ね、この受検にあたって読んだ本の紹介と、受検の目的をまとめてみます。


東京さ行くのは人生これで3度目さ。そして人生初めて夜行バスに乗る。ケチって一番安いタイプ。足が伸ばせない姿勢で苦しい上に、午前中の野球の筋肉痛が追い打ちをかける。3時過ぎにやっと寝れた。6時過ぎ新宿到着。ビルの高さと大きさにおったまげる。四谷まで徒歩40分。レンタル自転車を探すが見つからない。電車でもよかったが歩いてみることにした。靖国通りを東へ。防衛庁の前を通る。予想以上に大きく頼もしい概観。通りに面した壁には幅15mほどの切れ目がある。大きな扉のようだが、緊急出入り口だろうか。有事の際は助けてください。

さて四谷に到着。試験まで3時間もない。試験会場近くの喫茶店で、直前のつめこみ暗記開始。今更じたばたしても始まらない。始まらないがじたばたする。大東亜戦争中の海戦の時期と、南島の陸軍の戦いとの関係が整理できていないので、流れだけを速攻で叩き込む。仕事の資料を読む以上の集中力だ。そして試験会場へ。今回受ける戦史検定は第1回の開催。つまり過去問題がない。検定の実行委員会の方も初めての開催ということでいろいろ苦労されたようだ。出題範囲は、ノモンハン事件支那事変、大東亜戦争を主題とされ、その伏線を理解する上での帝国陸海軍建国以来の戦史と、当時の社会情勢、世相、常識を副題にする範囲。私はこの受験募集要項を見て、昭和14年ノモンハン事件に至るまでの経緯、昭和6年満州事変あたりから抑えなければならないと判断し、大東亜戦争に至るまでのおよそ10年間を、真珠湾攻撃後の対米戦争の3年半より重視して勉強してきてしまった。

試験開始。問題を解きながら気付く。9割くらいが大東亜戦争開始後の設問だった。だがあきらめるのは早い。2時間前につめこんだ流れがまだ何とか脳みそに残っている。問題そっちのけで、忘れないうちにまずは自分の頭の年表を問題用紙に書き込む。一番の痛手だったのは南太平洋海戦についての問題が3問出題されたこと。南太平洋海戦???全く分からない。実は、南太平洋海戦とは、連合艦隊最後の勝利となったガダルカナル攻防中の戦いなのだが、私の頭の年表には挙がっていない。まとめたノートにすらない。見落とした!南太平洋海戦が、いつ起こったかも分からず、その漠然とした海戦名からも、どこで起こったか絞り込むことすらできない。結局、その海戦に関する思われる問題3問、試験終了後に勘も全て外れたことが判明。しかし全体の8割は自身を持って解けたとおもっている。合格ラインぎりぎりか。結果が楽しみだ。来月連絡を頂ける。

「戦史検定」の収益金は、かつての戦場に戦友や遺族によって建立された多くの慰霊碑、顕彰碑の保全、修復に充てられる。海外慰霊碑は、北はシベリア。南はフィリピン、インドネシア、マレーシア。南洋の島々ある。手入れがされているものもあれば、朽ち果てる一方のものもあるそうだ。第1回は東京での開催だが、来年の春には関西でも初級検定を予定しているそうだ。来年末には、さらに中級上級の検定も企画しているそうなので、今回初級合格していれば是非受検してみたい。
http://www.senshikentei.org/


この受検の為に教材には金を使った。本の数だけ増えて並べて満足して、中身はほとんど理解していないのが大半。だが実感できたことが1つある。教材によって、事件や紛争のとらえ方が違うことだ。それも、私のような適当に勉強した者が書いたブログや本ではない。大学の教授が日々研究を重ねた成果を、まとめた本や資料にこれだけ違いがあるとが実際にわかった。事実は一つのはずだが、思想(主義や宗教など)や立場(職業や権力など)によって正反対になることがある。誰かが、どこかで、自分の都合のいい風に変えているということだ。受検を通じての私の解釈は、本来なら一つしかないはずの正しい事実を、理解できたのだろうか。

帰りは妻に新幹線の切符を用意してもらった。帰りも夜行バスを予約していたが、月曜の仕事のことを考えてくれたようだ。車内で駅弁を食べながら考えた。サラリーマンでありながらこれだけの時間を使ってこの戦史検定を受検した意味を。お気楽な観光がてらに受検して、寄付したつもりになっている自分が恥ずかしい。このために時間を割くなら、仕事のことでも考えて会社に貢献したほうがよっぽど国の為になるのではとも言われよう。

私は、あと40年くらい日本人として生きて、日本人として死ぬつもりだ。島国として歴史が始まってから数万年。私の先祖がいつ日本人になったかはわからない。サッカーで勝利したとき、誇れる日の丸の意味。尊厳な君が代の意味。国民の安全をいつもお祈りされている天皇陛下の存在の意味。私の毎日の快適に暮らし、さらに快適さを求めることもでき、好きなスポーツや趣味をなんでもでき、思う存分働けるこの自由と平和は誰のおかげなのか。その正しい意味と答え探して次の世代に引き継がなければならないと思う。では誰がその正しい答えを探して教えてくれるのか。今は誰も教えてくれないし探してもくれない。国も学校も親も。だから自分で探し直すしかない。つらい戦争を戦ったおじいちゃんは、40年経っても毎晩うなされてた。本当の戦争の悲惨さを私は知ることは絶対できない。だからこそ、命を懸けて守ろうとした本当の文化や歴史を知りたい。そして子供に伝えたい。そのために検定を受けた。


国家を意識することは争いを招くだろうか。16世紀から始まった白人支配は、アフリカ大陸、アメリカ大陸、そしてアジアに及んだ。米はフィリピン人をニガーと称し、捕虜にするより弾丸が安いといって殺戮したのがたかが100年ちょっと前の話だ。この事実をフィリピン人は覚えているのか。国の存亡をかけた苦渋の決断の末、真珠湾攻撃、対米開戦。国民は沸き立ったことを今回学んだ。何百年もアジアを支配してきたイギリス、オランダを、数週間で撃破し、ミッドウェー敗戦、ガダルカナル陥落を期に、アメリカ軍に殲滅、掃討された。日本軍の玉砕と散華。無謀だとか悲惨だとか簡単に考えることができる行為ではない。自らかを盾に本土を守ろうとした。しかし守れなかった。各都市への無差別爆撃、人の住む街への原爆投下。そして戦勝国の不法裁判。戦前の日本人は日本人として自我を意識し、アジアの国として敗れた。日本人が正しい歴史を認識し、将来もし日本人としての自我に再び目覚める時、自立したアジア連合ができるだろうか。

JYMA日本青年遺骨収集団の方々の安全をお祈りします。


読んだ本の紹介